各館の情報

巻郷土資料館

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巻郷土資料館は旧巻消防署を利用して巻地区の郷土資料(古文書、文献、民俗資料、考古資料等)の保存・収集と公開をしています。
開館時間 午前9時〜午後4時30分
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)
    祝日の翌日(日曜日の場合は翌々日)
    12月28日〜1月3日 
※必要に応じ臨時に休館することがあります。
料金 無料
駐車場 20台

のぞきからくり

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資料館には全国に現存している中で唯一実演可能な「のぞきからくり」があります。新潟市有形民俗文化財である「のぞきからくり」を後世に残し、その素晴らしさを伝えていくために、「のぞきからくり探求講座」も開催しています。

浮世絵

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巻郷土資料館は所蔵の「鹿児島徳治浮世絵コレクション」があります。歌川広重の「名所江戸百景」や小林清親「武蔵百景之内」シリーズなど、四季折々の風景を描いた34点で、浮世絵の豊かな世界を楽しめる。

潟東歴史民俗資料館

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赤塚不二夫をはじめとする、ふるさとの生んだ先人たちの書画コーナーや昔の農具・民具などを陳列しています。 「潟東」の名前の由来となった「鎧潟」を偲ぶ「鎧潟コーナー」もあります。

開館時間 午前9時〜午後4時
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)、
    12月29日〜1月3日
料金
一般    500円 団体(20人以上)400円
小・中学生 300円 団体(20人以上) 200円

鎧潟の紹介

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鎧潟は、長い間、この地域のへそとして、農業、漁業、狩猟、水運だけでなく、洪水災害や干拓の歴史と深く結びついていた。こうした生活に関する資料は、新潟市潟東歴史民俗資料館で見ることができる。鎧潟は、昭和42(1967)年からは、干拓事業によって豊かな水田に変わった。ここには鎧潟で使われていた舟や漁具が展示されています。

赤塚不二夫

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『天才バカボン』『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』で知られる赤塚不二夫が14歳の時に父の出身地であり赤塚の本籍地であった新潟県西蒲原郡四ツ合村井随(潟東村を経て現在は新潟市西蒲区)に移り、赤塚は四ツ合中学校(現・新潟市立潟東中学校)へ転入。中学校を卒業後映画の看板を制作する新潟市内の看板屋に就職した。この時期に『漫画少年』への投稿も始めた。18歳頃に上京し、化学薬品工場に勤務しながら『漫画少年』へ投稿を続けた。石ノ森章太郎が主宰する「東日本漫画研究会」の同人に参加。石森を手伝う形でトキワ荘に移り、昭和37年『週刊少年サンデー』で「おそ松くん」がブレイクする。

お茶の間美術館

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受付棟には年間を通じ地域の方々の作品を展示しています。

潟東樋口記念美術館

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明治19年生まれの樋口顕嗣氏は明治44年に上京、曳き売りの八百屋からスタートし、日夜を分かたぬ努力を重ね、大正13年に目黒青果株式会社を設立しました。その後、昭和10年には地域の26の市場を統合し東京荏原青果株式会社を創立し、青果業界に確固たる地歩を固めました。昭和25年には東京青果卸売人協会会長の要職につき、以来青果業界の要職を歴任し、業界の積極的な指導に努めました。また、読書を愛し美術品を収集する趣味人であり、若くして離れた故郷を愛する郷土人としての一面もありました。昭和45年には、収集された数多くの美術品を潟東村に寄贈されました。

尾竹三兄弟

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新潟市白根出身の尾竹(越堂、竹坡、国観)の日本画家三兄弟 特に明治末から大正初期にかけて文展を舞台に脚光を浴びました。 引札や富山の売薬版画、新聞雑誌の挿絵などで鍛えた腕で、特に人物画を得意とし、何メートルもある群衆図は当時の大衆に圧倒的な人気を得ていたといいます。 明治期の教科書や雑誌・絵本の挿絵も手掛けました。

樋口翁コレクション

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樋口顕嗣翁寄贈の絵画、彫塑品、陶芸品、漆芸品、貴金属類を収蔵し展示、公開しています。

岩室民俗史料館

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館内を総合展示室と部門展示室とわけ、部門では鍛冶道具・機織り機・照明を中心に生活用具等も展示しています。
館の管理も地元の方々が中心となって行っています。

鍛冶道具の展示

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村の鍛冶屋さんの道具を一堂に展示してあります。見かけた事のある道具から農機具製作用の専用工具治具まであります。

漁具の展示

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村の漁師が使っていた漁具・網・運搬具等が展示されています。

中之口先人館

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第三十六代横綱羽黒山、東映創設者の大川博、漢学者小柳司氣太をはじめ中之口出身の著名人の紹介をしています。

開館時間 午前9時〜午後4時30分
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)、
    12月29日〜1月3日
料金
一般    200円 団体(20人以上)150円
高校生   300円 団体(20人以上) 50円

第三十六代横綱 羽黒山 政司

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第36第横綱羽黒山政司は、1914年11月18日、中之口地区羽黒に生まれました。本県の出身力士で横綱まで登りつめたのは、羽黒山のみです。
 昭和4年に上京し、昭和8年、当時の立浪親方の誘いを受けて19歳という遅い年齢で、相撲界に入門。無類の稽古好きで、序の口以来10場所
で大関に昇進し、昭和16年には第36代横綱に推挙されました。横綱在位12年で優勝回数7回、また37歳という相撲界では高齢での全勝優勝を果たすなど、数々の実績を残し、昭和29年1月30日に蔵前国技館で、引退相撲と断髪式が執り行われ現役を引退し、年寄「立浪」を襲名し弟子の育成に努めました。

東映創設者 大川 博

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鉄道省役人であったところ東急の五島慶太にヘッドハンティングされる形で東京急行電鉄に入社。1951年副社長に就任。1951年2月、東京映画配給(東映)社長に就任。時代劇解禁と共に、時代劇スターを多く揃えた東映の業績は好転させた。1954年、以前より携わっていたプロ野球・東急フライヤーズの経営を東映に委託させ、東映フライヤーズオーナーとして経営に当たる。1962年、日本シリーズも阪神タイガースを破り念願の日本一になった際、背番号100のユニフォームを着用して自宅まで優勝パレードをする。1956年には、日動映画を買収し、(現在の東映アニメーション)本格的なアニメーション制作にも進出した。1959年には、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)を開局させ初代会長に就任。本邦初の民間教育放送局となる。経営の多角化では、ホテル事業、不動産事業に乗り出して、テレビ時代への対応を図った。

漢学者 小柳 司氣太

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越後国(新潟県)三条市上保内村出身。旧姓は熊倉。3歳で代々庄屋を務める母方の小柳家の養子となる。6歳から漢学に親しみ、西蒲原郡吉田町の『長善館』に学び、18歳で上京。東京帝国大学文学部卒業後、一時、新聞雑誌記者を志し、『東亜説林』などを刊行するが挫折。学習院、國學院大學、慶応大学、駒澤大学、母校の講師を経て、1926(T15)大東文化大学教授となる。'40(S15)同学長となるが、同年急逝。享年69歳。文学博士。 漢学のみならず、儒学・道教・仏教に通じ、とりわけ道教研究に先駆的業績を残したほか、宋学から近代思想に及ぶまで多角的な研究を推進し、我が国の教育界に多大な貢献を成した。また超脱・誠実な人柄であった。 主な著書に、『宋学概論』1894、『詳解漢和大字典(服部宇之吉と共著)』1920、『道教概説』1923、『白雲観志』1934、『東洋思想の研究』1934 などがある。 その深い学識を駆使した『新修漢和大字典』1932 は、後の漢字研究家に大きな影響を与えたといわれる。小柳司気太の業績をまとめた『近世の醇儒 小柳司気太』という書物がある。

澤将監の館

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「澤将監の館」は、その遺構の大きさ、邸内の広さ、松並本の雄大さなど、近郷はおろか全国でもまれに見る規模の大庄屋の遺構です。現存する正確な家相図を基に、宮大工の手により、釘を一本も使わずに造られた建物は、木造建築としては最高の技術を施したもの。全国からよりすぐったケヤキ材をふんだんに使っています。
 澤将監、本来は甲斐の国で武田信玄の家臣として仕えていました。武田氏滅亡後、上杉氏を頼って越後に入り慶長17年1612年)に現地に来往。かっては低湿地のため水の被害をたびたび受けていたこの地の開墾に、力をつくしました。

開館時間 午前9時〜午後4時30分
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)、
    12月29日〜1月3日
料金
一般    300円 団体(20人以上)200円
高校生   150円 団体(20人以上)100円

資料館

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澤将監の館に併設されている資料館には復原の元となった家相図をはじめ文化財の真宗本山講中「御書」等が展示されています。

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